どうしても許せなかったこと
いきなりこんな話と思うかも知れないけれど
私の生まれは東大阪。
だいたい、大阪でも南と東は
ガラが悪いだの、言葉もきついだのなんだのと言われがち。
私自身は活発で根は明るい人間だと思う。
家の事情で小学校4年生から転校し、
校区内の学校と、家からめちゃ近い学校があって
選んで良いと母親から言われた時に
なんだろ、直感で選んだんだと思う。
でも楽しかったのは初めの一ヶ月ほどで
学校に行けば、自然でいることが
そこでは"不自然"で
言葉の違いや、他にも
みんなと違うことが、
"悪いこと"になって
教室にいる人間全員から無視されたり
まぁ、他にも散々 いじめにあったりして。
それでも学校には行き続けた。
なぜ学校に行けてたかというと
並行して、週末は毎週親元を離れて
山や川や海にずーっと行ってたから。
夏はキャンプ、冬はスキー。
自然の中で、学校の人が誰もいないところで
リフレッシュできてたんだと思う。
それでね、
まぁ、私からしてみれば
当時、とても嫌な思いをしてきていた人の
名前も顔も誰1人残らず覚えていて
この憎しみとか恨みとかは
ずっと消えないんだろうなぁと
つい最近まで、そう信じていたんだけどさ
いま、
こんなに幸せな環境と仲間と生活に恵まれて
昔、読んだ本をふと思い出したんです。
友人が交通事故で命を落とした時に
当時お父さんのように良くして下さった人が
出会わせてくれた本。
その時は読もうとは思わなかったんだけど
高校生になって色々悩んだタイミングで
そのときにふと読もうと思って
読み始めた本だった。
この本に出会って劇的に考え方が変わった。
この世で私に起こりうる全ての事象に
私を不幸にするものは何1つないと
思えるようになった。
本の内容を信じるも信じないも
それは選択の自由だけど
この本は私にとっては心の豊かさを
もたらしてくれるような本だった。
学校が転校になって
転校先の小学校は地獄で
いじめられて何度も消えたいと思った。
だけど、いじめられる人生も
私が望んだ人生の1つのシーンで
だって小学校は私が選んだんだから。
私をいじめる役を担ってくれた人達のおかげで
私は、その時から色んな感情を見つけて
小学校の人が誰1人いない高校を自ら選び
そのタイミングでこの本を読み、
さらにそこで出会った
今でも大好きで大切な友達は
"いまの私"のこの考え方や
いつも自分の気分で動いて
幸せでいることについての効果を
身をもって見せてくれたり、
それをするためのプロセスを
与えてくれたりしてくれている。
何が言いたいかと言うと
今までずっと許せなかった人達を
ある日突然 許せるようになった
ということ。
わざわざ私を、今のこの幸せに
導いてくれるために
小学生ながらに使命を持って
私の人生に関わってくれた。
その時の私が自分で欲したから
その人達が、私をいじめなくてはならなかった。
いじめてた本人は
なんか分からないけど私が
気に入らなかっただけだとは思うけれど
もっともっと深いところで、
そういう役割を担っていてくれてたんやと思う。
人生で起こることは
全て自分に必要なことだと思えば
いじめを、いじめた人達に
なんかありがとうって思える。
すごい成長だと自分で思う。
一か月前までは、きっとこんな考え方できなかった。
恨みとか、イライラとか
嫉妬とか、そんなものを抱えて
自分が幸せならそれでもいいけど、
やっぱり、感謝と愛と
たのしいっていう気持ちで溢れてる方が
私は好きだし、
心からそう思えた日が来たことが
ほんまに嬉しい!!!
心は嘘をつかないし
体は心の声を映すようにできてるからね。
穏やかな気持ちでこんなことをかけるなんて
本当に嬉しいなぁと思う。
真面目なこと書いてしもたけど
長くなったからこの辺で、、、
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